1.日本古代の冠については、1995年に成果を公表(「日本古代の冠」『奈良国立文化財研究所40周年記念論文集』)。このなかで、6世紀には二山式帯冠が大和朝廷による地方支配の標章になったことを示した。本科研をうけた1996・1997年には、日本各地の冠の集成をほぼ完了し、前掲の論説を補強することができた。 2.朝鮮古代の冠については、1995年に一部の成果を公表(「朝鮮古代の冠-新羅-『西谷真治先生古稀記念論文集』)。本科研によって、伽耶冠の成果を公表(1997年)。百済冠は投稿中、高句麗冠は準備中である。 百済・伽耶・新羅の冠は、北方あるいは西方からの影響をうけて5世紀中頃前後から出現し、6世紀に入ると伽耶の一部を除いて、文・武2系統の官人の組織化と対応して制度として整えられはじめたことを推論した。 3.中国では、秦・漢代には冠位制がほぼ出来上がり、これが中原では保持される。他方、北辺部では遊牧民族の冠があり、これが朝鮮、日本とつながる。成果は準備中。 4.百済・新羅(旧伽耶の領域を含む)では、7世紀前半に丸鞆・巡方などが出現することがら、唐風の影響がすでに及んでいたと推測した(前掲論文)。日本では、推古11年(603)の冠位12階では古制が残り、大化3年(647)に唐風化すると推論した。(前掲論文)。考古資料はほとんどないが、帯金具を再吟味することによって実証できるのではと予測している。今後の課題である。
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