研究概要 |
1.利尻・礼文島において、戦前に刊行された先史時代遺跡発掘報告書の収集と、それにもとづく遺跡分布図の作成をおこなったが、戦後調査分は、次年度に持こされた。 2.利尻・礼文島出土の先史時代遺物を所蔵している筑波大学、早稲田大学、国立民族学博物館へ出張し、出土資料の写真撮影、実測図作成等の集成調査をおこない、あわせて出土状況等の調査をおこなった。 3.礼文島浜中2遺跡を中心とする礼文島北部遺跡の分布調査をおこなった結果、遺跡の形成年代(縄文中・後・晩,続縄文,オホーツク,擦文)によって、遺跡の占地にある一定の傾向のあることが判明。これは、生業と関係すると考えられる。同じ方法で、礼文島南部、利尻島、モネロン島の遺跡分布状況を、平成8・9年で調査する。 4.サハリンの考古学者S.V.ゴルブノフ氏から提供されたモネロン島キタコタン、ウス遺跡の^<14>C年代の測定を京都産業大学でおこなったが、1960±50年B.P.と現代の数値が出て、期待した年代は得られなかったが、サハリン中部、ワイダ山メドヴェジェフ洞窟(新石器時代初期)の年代は、6.180±90B.P.の年代を得ることができた。 5.以上、本年度の調査・研究から得られたデータを分析・検討し総括を行った。
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