大正期において、女らしさは、男は外で働き、女は家事をするという役割分担のもとに、「家庭的」「良妻賢母」ということばで象徴され、「控えめ」「しとやか」「ゆかしい」など、静的なことばによって形容されるイメージをもっていた。その女らしさは、女性の生き方の中心にかかわるような問題であった。 それに対して、現代では、固定した性別役割分担の意識からの脱却が見られはじめ、もはや人生、生き方といった重いテーマの中に女らしさはない。女らしさが取り上げられるのは、ファッションの場であり、せいぜいがマナーの場である。 そこでは、女らしさは「魅力的な自己表現」のパターンとして、しかも、一人前の女性としての服装や態度として認識されていた。すなわち、女らしさは、よきものとしていることを意味し、現代の大学生たちの多くも、女らしさを「上品・繊細・柔らかい・細かい」といったプラスイメージで肯定的にとらえていた。 しかし、大学生の男女間には認識の差が見られた。女らしさを、女子学生が精神的なやさしさといった内面的な問題として認識しているのに対して、男子学生は「かわいい・小さい・美しい」といった外面を問題にしている傾向がある。また、男子学生の中には、「内向性・従属性」といった古めかしい女らしさを意識している者もいた。 このように、女らしさのイメージは昔とは変わってはきているものの、男女間にイメージのギャップが存在する。そのギャップこそが女らしさの意味解析及び女らしさをめぐる議論の難しさである。
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