研究概要 |
平成7年度は、本研究の第一年次として、庭鐘・綾足・秋成の文学的自己形成期の伝記資料と、教養基盤に関わる漢学・国学(和学)関係の資料について、調査を集中的に行った。その結果、以下の新たな知見が得られた。 1,和文系文人と称してよい綾足と秋成についてであるが、綾足は武家、秋成は商家の養子と出身階層は異なるが、青年時に俳諧に熱中し、これが文学的出発点である事が共通する。俳諧という俗文学への傾斜が、同じ雅文学ながらも、和学よりも漢学の方により大きな疎隔感を抱かせたためと思われる。二人は初学の段階において、いずれも堂上歌人の指導を受けたとおぼしい。秋成は三十前後に冷泉家に入門し、綾足は当時の津軽藩の状況からして、中院通茂系統の影響下にあったようである。そしてともに真淵の学問に進む。伝統歌学を一旦学び、それに飽きたらず新しい国学へ進んだ点が、この二人に共通する。 2,一方、漢学系文人の庭鐘は、中国の文人伝統である煎茶・書などに早い頃から傾倒するが、俗文学への接近、あるいは国学との出会いは見られない。青年時における文人大枝流芳との交際や、古医方の大家である香川修庵についたことが、正統の漢学や中国風の文人趣味に庭鐘を導いたものであろう。庭鐘は白話小説をもとに読本を執筆し、また狂本の漢詩を集めた『狂詩選』を編むなど、もちろん俗文学的なものへの関心がないわけではないが、それはあくまでも漢学的教養の範囲内にあり、雅俗相半ばする文学的営為であったとすべきである。
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