本論は、十九世紀のヨーロッパに於いて漢詩がどのように受容されたか、を調べるものである。十九世紀日本の近代化にヨーロッパ文学が果たした役割については比較文学の研究者によって既に多くの研究成果がみられるが、本論は逆に、東洋の文化が当時のヨーロッパにどのようなインパクトを与えたのか、について考察する。東洋や欧州の"近代化"についての意味を考える上でも興味深いものとなろう。 初年度の研究は、【encircled1】資料収集【encircled2】翻訳作業【encircled3】資料分析の順に作業を進めた。 (1)資料収集:ミュンヘン大学、東京大学、京都大学、駒沢大学 その他で、十八、十九世紀の漢詩に関する文献を捜した。主な成果は、論文"POESEOS SINENSIS COMMENTATII"(1829 J. F. Davis英語)、"MEMOIRES DES CHINOIS"(1778 Le pere Amiot 仏語)、リヒャルト・デ-メル等二十世紀初頭の漢詩訳を含むドイツ語詩集(ミュンヘン大学のヘドウィック氏の援助による。独語)。 フランス国立図書館で十九世紀に中国からフランスに入っていた漢詩集を捜した。特に、"POESIES DE L'EPOQUE DES THANG"(Hervey-Saint-Denys)の序文に参考資料として挙がっていた、古唐詩合解、唐詩合選、李太白詩集、杜工部集を特定することが出来た。 (2)翻訳作業:"MEMOIRES DES CHINOIS"、論文"POESEOS SINENSIS COMMENTARII"、"POESIES DE L' EPOQUE DES THANG"(Hervey-Saint-Denys)、"Die chinesische Flote"(Hans Bethge)、"Chinesische Lieder"(Gottfried Bohm)、"Chinesische Lyrik"(Hans Heilmann)以上の論文及び詩集の必要部分の翻訳作業が進んだ。 (3)資料分析:主に"POESIES DE L'EPOQUE DES THANG"(Hervey-Saint-Denys)の分析を進め、その序文にみられる『詩経』観について考察を終えた。
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