本研究は聖なるものをめぐる対話が主体の絶えざる運動を反映しているという視点から、1)聖なるものについての理論的考察、2)聖なるものの顕現について、あるいはその描写についての精神分析的考察、3)テクスト理論による聖なる詩学の構築、の3点をミルトンのテクスト分析をとおして行なおうとするものである。 平成8年度は、昨年度の『失楽園』における神と御子の対話についての考察の過程で注目した、ミルトンが著わしたとされる『キリスト教教義論』のなかの神とキリストの従属説的関係の分析におもに時間を割いた。ミルトンが神とキリストの関係について正統的三位一体の教理からは逸脱した従属的関係として理解したことは、彼の無意識の抑圧との関連で『失楽園』における両者の描写を解く鍵になるという予測のもとに『キリスト教教義論』を読み解くうちに、当時の神学的言説のなかに『キリスト教教義論』を位置づける必要性が生じた。それと同時に、『キリスト教教義論』の著者問題が、実は「ミルトン」という作者を正統神学との関係でどこに位置づけようとするのかという問題に他ならないことも指摘した。さらに、聖なるものとの関係で重要な他者表象の問題について、スペンサー以来のピューリタンの汚染する他者としてのアイルランド観をミルトンにまでたどり、常に純潔性を脅かすおぞましき他者としてのアイルランドという発想がと聖なるものの理解との関係を論じた。
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