平成七年度は主として文学資料を対象とし、天体構造に関する英国ルネサンス文学の空想的な認識の変化を分析した。具体的には、特に不規則性を反映する星層の数と惑星の運動および下位の星層と最上位の星層との関連への言及に留意して、クリストファー・ス-ロウやシェイクスピア、ジョン・ダンなどの演劇、詩作品における天体描写を分析した。さらに、上記の天体描写を中世演劇にみられる静能的な天体像と比較することにより、16世紀後半期の天体描写における文学的な想像力の特殊性をかなりの程度まで解明することができた。 平成七年度の成果は、英国ルネサンス文学がたどった天体認識の表現変化をかなり具体的につかめたことである。1550年代末に英国は始めてコペルニクス説を受容したが、文学の領域ではアリストテレス=プトレマイオス主義の天体構造が引き続き採用される。だが、1580年代以降、文学における大半の天体描写はきわめて不安定なものとなるか、理論上運動しえない壮大なアクセサリーとなるかいずれかとなる現象が判明した。具体的には、天体全体の動因となる原動力の層や、プトレアイオス説において理論上不可欠な種々の不可視の層が1580年代以降の文学作品の天体描写から消えていく現象である。16世紀末の文学的想像力は天体構造を可速度的に空洞化させていき、静能的な階層構造をまさしく虚構化していく。しかも、問題は、この空想的な文学的天体描写がその実体のなさゆえにその時代の特有な政治理念あるいは個人的欲望、願望にあわせて自由に改変されてしまうことである。一例として挙げられるものがシェイクスピアの「トロイラスとクレシダ」であり、この別作品における天体構造はその時代の王権理念、すなわち主と臣下の一対多の臣従関係を色濃く反映したものとなっている。 以上が七年度の成果であり、継続分の八年度はさらに思想や科学史における天体認識の変化を調査し、七年度の成果と合わせて全体的な成果を発表する予定である。
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