心的辞書において語彙情報がどのような形で指定され、どのようなメカニズムが機能していると考えられるかを、種々の実験心理学的研究の成果を視野にいれた上で検討した。 昨年度に引き続き、S.Pinkerらが屈折接辞に関して主張している、生成規則による「規則的」な接辞付加と連想記憶およびアナロジーによる「半規則的」な接辞付加の区別について、それが派生接辞に適用できるか否かの検討を行った。日本語の名詞化派生接話に関して健常者および脳損傷患者を被験者とする共同実験研究を行い、派生形態論の側面においても、屈折形態論同様に、規則とアナロジーの両者が心的辞書において機能しているとする仮説を支持する結果を得た。 この実験結果を通して、理論的言語研究と心理・神経言語学的研究が相互にどのようなかたちで貢献しうるかを、共同研究間の討論を通して検討した。理論研究においては、言語事実だけを見ていたのでは得られない知見が心理・神経言語学的な実験結果から得られること、また心理・神経言語学的研究においては、刺激文の作成等実験の設計はもちろんのこと、実験結果の解釈にあたっても精緻な理論研究の成果を参考にすることが必須であることが確認された。 また、上記の実験結果について、Pinkerらのモデル関して海外で行われている心理・神経言語学的研究との比較検討も行った。大きな相違点として、日本語の派生を扱った筆者らの実験では、実在語について規則形と半規則形の差は観察されず、新語においてのみ顕著な差が見られたのに対し、英語・ドイツ語の屈折を扱った複数の研究において実在語における規則形と半規則形の差が報告されている点が挙げられる。これが、日本語と英・独語という言語の差によるものか、あるいは派生と屈折との違いによるものか、現段階でははっきりしない。実験方法の妥当性等も含めて、今後さらに検討の必要がある。
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