本研究は、語の産出・処理のプロセスにどのような心的メカニズム(さらにはどのような脳内メカニズム)が関与していると考えられるかを、種々の実験心理言語的研究・神経言語学的研究の成果を視野にいれた上で検討することを目的として行われた。 具体的にはS.Pinkerらが屈折に関して提案している心的辞書のモデル--生成規則による「規則的」な接辞付加と連想記憶およびアナロジーによる「半規則的」な接辞付加とを区別するが--が派生に適用できるか否かの検討のために、日本語の名詞化派生接辞(-さ、-み)に関して、健常者および脳損傷患者を被験者とする共同実験を行った。健常者の実験においては新語への適用の容認度および既存語との類似性への依存という二点において二つの接辞が異なる振る舞いを示し、派生形態論において屈折形態論同様に規則とアナロジーの両者が心的辞書において機能しているとする仮説が支持された。さらに、脳損傷患者の実験では、新語に対する二つの接辞の選択傾向と損傷部位との間に対応関係が観察され、規則とアナロジーという二つの心的メカニズムが異なる脳内機構に支えられている可能性が強く示唆された。 この実験結果は、形態理論においては屈折と派生という異なる形態プロセスに横断的に二つの心的メカニズムが機能していることを示した点で、また神経言語学においては「統語処理」機能を担うと考えられているブローカ領域が単語・句・文という異なるレベルに横断的に「演算計算」機能を担っている可能性を示した点で、それぞれ新たな知見を提供しており、このような理論言語学的研究と神経・心理言語学的研究との共同研究が両分野に双方向的な貢献をなしうることを例証したといえる。 なお、今年度までの研究では実在語の産出・処理についての検討が不十分であり、この点について新たな実験研究を来年度以降続行する予定である。
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