エリオットが中世のキリスト教世界に、ヨーロッパの崩壊を防ぐためのモデルを見出していたのは、中世の社会、宗教、芸術、否、すべてのものが一つの共通した価値基準を共有し、その文化的統合性が統合されたヨーロッパ共同体という理想を象徴していていたからである。20世紀におけるキリスト教世界の崩壊、共通の信仰、文化の衰退が、エリオットによって解決されなければならない問題として認識される。ヨーロッパ中世を高く評価する姿勢の背景には、彼が産業社会の矛盾に気づき、経済的、社会学的視点から、中世の自立社会に矛盾解決の処方箋を求めていたことが考えられよう。たとえばAfter Strange Gods(1934)では、南部の知的階級の運動であった、neo-agrarian movementに支持を表明していた。また、エリオットはベロックとチェスタトンらが指導した「所有権分配主義」にも共感を禁じ得なかった。エリオットの思想には多分に中世的な゙blood kinship゙に対する肩入れが見られる。産業社会に暮らし、利潤追求を至高の徳とするような世俗的な人々には理解できない、自然との調和、土地に対する愛着といったものを、エリオットは文化の基盤として欠かせないと考える。こうしたエリオットの態度には彼の宗教観が影響を与えていることは当然である。それは、サクラメンタル、すなわち秘跡的であるという点でカトリック的なものであった。つまり、教会が提供する秘跡、典礼に与ることによって救いが保証され、結局は個人と神だけの関係に集約されていく近代のプロテスタンティズムとは本質的に異なる性格のものであった。教会という共同体に参加することを重要視したのである。エリオットはそれを『キリスト教社会の理念』と『文化の定義のための覚書』という社会・文化評論で社会学的に発展させようとしたのであった。
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