初年度は主に、古代ブリトン人の宗教的指導者階級であるドルイドに注目した。18世紀初頭にWilliam Stukeleyが発表した考古学的な地誌StonehengeとAubryを分析してみると、ブリテン島に散在していた古代遺跡への関心の高まりが時刻の古代宗教、文化を担うドルイド僧への関心と結びついていることが分かった。文学作品ではWilliam MasonのCaractacusとThomas GrayのThe Bardにおいて古代ローマの支配に抗したドルイド僧が、奴隷精度を堅持していた古代ローマとは対照的に「自由の守護者」として描出されている。この点にも、新古典主義と称され、ギリシャ・ローマの古典が尊重された。18世紀に、英国の過去はローマと比しても文化的に野蛮な存在ではないとするこれらの主張に自国の過去、中世への再評価の兆しを読み取ることができる。ウェールズにおけるケルティック・リバイバルがイングランドの文人たちに古資料を提供したことも、中世研究の発展に寄与したことを書簡などによって跡付けた。 18世紀中葉からみられる中世復興は19世紀に入り、英国文学への関心の高まりとも連動し、アーサー王物語のテキストが出版されたことによって本格化する。1816年を皮切りにThomas MaloryのMorte Darthurが次々と再版され、19世紀半ば以降のアーサー文学の開花を準備したといえる。「アーサー王」が台頭するのと反比例するように、ドルイドは古代のイメージを喚起する存在として文学に登場するものの、アーサー王の影に隠れるようになる。これは大英帝国が成熟期を迎えたヴィクトリア朝において国王[アーサー]の方が自由の旗頭として時に急進的なイメージとも結びついた「ドルイド」よりも広がりを持ったためではないかと推定できる。この点についてはさらに細かい論証が今後必要だと考えている。8年度9年度はアーサー文学の分析を中心に論文をまとめた。
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