ジェイムズ・ジョイスの『ユリシ-ズ』は1904年6月16日のダブリンを舞台としているが、この小説は、他の一般的なリアリズム小説と異なり、ダブリンという都市の歴史的背景を前提条件として書かれている。そのため、その背景的知識がなければ読解が不可能のことも多々ある。もちろん、断片的な解説書はあるが、テクストが言及する諸問題について体系的に研究したものはない。本研究はそうした空白地等をうめるために、政治、文化、宗教、食生活、交通、物価、性風俗、住宅、教養、音楽といった側面から、『ユリシ-ズ』の対象とする社会一般と論じようとするものである。本年度は、政治に関して、パ-ネル失脚以後の状況を民族運動を巡って明らかにすることができた。文字については、アイルランドの文芸復興運動トその状況について考察することができた。また宗教については、当時の統計資料を基礎に、別度としての側面を分析できた。言うまでもなく、ジョイスの文学は、そのような現状を追復、再現することではない。むしろ、ジュイスは読書の歴史に対する意識を再形成することを主眼にしている。そのため、歴史言説についての信憑性を脱構築するべく、歴史上の出来事の変容を例証している。しかし、このジョイスの手法を理解するには、ジョイスの出発点となる資料を再検討しなければならない。その意味では、本研究の歴史的背景は、ジョイスの当初の素材をつきとめ、その変質を論ずることができた。発表としては、本研究の前提条件を論ずることができ、次年度以降の研究にうまく接続できそうである。
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