アイルランドの小説家ジェイムズ・ジョイスの「ユリシ-ズ」の歴史的背景をめぐり、1995年度においては文学、政治、宗教などを、1996年度においては音楽、教育、経済などを、また1997年度においては食物、交通、風俗などを検討した。ジョイスのテクストはダブリンを舞台とし、物語をダブリンに貸し与えるかのように描いているが、そのことは逆に、ブリンという歴史的な背景を前提条件としているということである。ここには微底したリアリズムがあり、登場人物と同席していればわかる事は語られていない。それゆえ、読者はダブリン--しかも1904年ごろのダブリン--を知らないければならない。本研究はそうした歴史的背景をめぐる研究である。 本研究により明らかにされた事柄は多数ある。ガ-ティの結婚願望は当時の女性の置かれた状況を理解しない限り不明であろうし、市民たちが副執行官のロング・ジョンに一目置く理由は彼の地位が明らかにされなくては意味をなさないし、またブルームが寝間着を着る意味も時代の階級制度と関連させて考案する必要があるだろう。しかしジョイスの創作方法がこうした研究を必要としていることが明らかになるにつれ、その範囲を拡大せざるをえなくなったことも事実である。風土、余暇、福祉といった項目の検討も必要になったし、その他の細目も無視できないことが判明した。本稿は当初の予定の項目に加え、新たに必要になった事項もできる限り検討することにした。 その一方で、ダブリンの素材をコンテクスト化するモダニズムの精神も見落とすことはできない。その点をめぐっては、これからの課題としたい。
|