昨年に引き続き、中世文学作品の性格と現在時制の関係を検討した。 昨年検証した中世テクストのオラルな性格は、トルバドゥ-ルらによる恋愛詩がヴェエルの音にのせて歌われたものであり、また宮廷風騎士道物語や武勲詩が城館の宴で大声で語り聞かせられたものであったことを考えるとき、むしろ当然であると考えられる。アウエルバッハは『ロランの歌』をはじめとする武勲詩が、因果律でなめらかにつながる物語を構成するのではなく、個々の自律的場面が数珠のようにつながったものであり、そのときに重要だったのはそれぞれの場面の絵画的効果であったと指摘している。同様に宮廷騎士道文学のテクストも、リアルなものとしてではなく、むしろ騎士の理想を表明したものであることを考えれば、語られる内容が最大の効果を上げるために「語り」をいかに臨場感あふれるものにするかが、「語り手」の最大の関心であったことは容易に想像できる。このような理由で、もともと語られていたこれらのテクストが、さらにパ-フォーマンスとしての性格を強めたことが考えられる。 しかし、同時代の風刺をテーマとするファブリオのテクストが、多くの場合語り手とその現在時制での導入部をはっきりと持っていて、エピソードの語りの中でも単純過去と並んで現在時が多く用いられていることは、中世テクストの現在形が、語られている内容の「現実性・非現実性」に由来するのではなく、やはりテクストの受容が「演じられた」ものとしてなされたことに由来することを示唆していると思われる。 来年度はテクストが「書かれた」ものとして受容されるようになってからの「語り手」の現れ方の変化と、テクストの時制構造の変化、それに伴う小説ジャンルの意味の変質について考察する予定である。
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