19世紀「第2帝制」成立時にGrimmが提起したドイツ概念成立史の構想は、1940年代ナチス時代にL.Weisgerberが概括し、60年代にH.Eggersがこの結果を追認し、今日でもこのナショナリスティックな結論が定説になっているが、本研究はこれに代わる、より適切なドイツ概念成立史を明かにした。特定のゲルマン諸語を単一のドイツ概念に包含させる過程は、自然史的言語史の中でなく、むしろそれとは対立しつつ、フランク王国等中世国家形成・運営上必要な言語政策の結果として発生した。しかもこの基礎になったのは、中世ラテン語分化とゲルマン語文化との対立と統合過程であり、優位であった中世ラテン語文化の言語観がドイツ概念成立の核をなした。 具体的には、 (1)ドイツ概念成立史は言語事実の問題ではなく、言語意識と言語接触に関わる問題であること。 (2)ドイツ概念成立史はライン河以東における言語文化交流圏成立の問題であること、 (3)ドイツ概念成立時には「ドイツ」という実体が言語意識上存在せず、言語政策の結果成立したこと、 (4)ラテン言語文化史とロマンス言語文化史との関連で、ラテン語を中心にした、ラテン-ロマンス-ゲルマン言語文化間に導入された価値差別構造の中からドイツ概念が形成されたこと、 (5)ゲルマン諸語が、ローマ帝国末期の5つの方言群から、民族大移動を経て3方言群に再編成され、新たな言語文化交流圏を形成していく中で、ライン以東に「取り残された」ゲルマン系諸言語文化集団が、決して統合されず、むしろ低地方言群と高地方言群との対立に再編成され、言語文化上統一された実体がなかったからこそ、ドイツ概念の特異性が生まれ、言語政策の必要とその効果があったこと、 を明かにした。
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