1(1)『日本児童文学』の特に第三次復刊以降の号を逐次調査し、1961年までを概観し終えたところ、社会性と興味性の融合という当時の課題が明確となった。また当初の留意点について下記の結果が得られた。 (2)理論的側面では、今日知られる評論以外に当時の中堅クラスの作家、批評家、ゲスト執筆者の発言も目立つ。なかでも高山毅が1950年代に果たした役割について、従来以上に重視すべきとの結論に達した。 (3)作品創造の方法の模索に関しては、必ずしも「童話伝統批判」の傾向一辺倒ではなく、長編の刊行が増加するにつれ、短編の手法の改革への意識も芽生えていることなどに注目した。またリアリズム、主体性、散文性、人物像の重視といった点は、実は一般文壇の動向とも密接に関わっていたことがうかがえた。 (4)外国児童文学との関連については、岩波少年文庫のような新企画の叢書ばかりでなく、名作全集や冒険物、探偵物などまで含めて推薦や紹介がされている。その一方、1950年代における外国での新しい動向については、すばやい反応がみられぬ点が指摘できる。これは、当時何をモデルとして模索していたかを考えていく上で、重要なことである。 2 大阪国際児童文学館で、『馬車』はじめ当時の有力な同人誌を調査、資料収集もした。瞥見の段階であるが、『日本児童文学』誌上と同人誌の論調には相互の強い関連が見られる。今後特にこの点を考察したい。 上記調査と並行して、向日性や理想主義と関わる「成長」概念の追究も行った。この場合はその今日的問題からの接近を試みたが、「現代児童文学」成立の過程とよりからめていけるよう、考察を深めたい。
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