本研究においては、「「シュタイン遺文書」の具体的検討に入る前提として、先ず、「西伴法継受と近代日本の形成」の前史として「岩倉使節団」を取り上げ、次に、伊藤博文の滞欧憲法調査の模様を、主として彼らの書簡類の検討を通じて跡づけた。その上で「シュタイン遺文書」の書簡類を中心に内容の検討を行った。すなわち、第一に、従来、断片的にではあるが、これらの書簡類は紹介されていたので、萩原延壽氏の収集史料や早島瑛教授の論稿を入手し、これに検討を加えた。第二に、A.ブ-クマン女史の作成した「シュタイン遺文書」の目録、並びにDr.ツァンダー氏の同目録に対する補遺。増補メモに基づいて、書簡類や遺縞、講義類その他の文書を検索、検討を加え、さらにそれを「シュタイン遺文書」に関連する内外の研究成果及びシュタイン研究の成果を広く渉猟して検討を加えた結果、以下の様な研究成果を得た。 すなわち、従来知られているように、L.V.シュタインがさまざまの分野の日本人と直接、間接に交流していたこと、日本の明治国家の形成に際して、憲法制定をはじめとして法律制度、教育、軍事等の領域について、遠隔の地から大きな影響を及ぼしていたことが確認されると同時に、従来知られていなかった人物との交流も新たに知られるところとなった。ただ、本研究の主要な関心事であった伊藤博文滞欧憲法調査の随行員たち、特に河島醇、渡邊廉吉らの活動の具体的内容の解明は必ずしも十分に達成されたとは言い難い。今後、「シュタイン遺文書」の内容検討と考証を深化させ、また、さらなる史料の発掘が要請されるところであって、この点は、本研究においても今後の課題として取り組んでいきたい。
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