本研究は、従来断片的に言及されるにとどまって、その全体像が明らかでなかった江戸幕府の服忌令(およびこれと関連して諸藩の服忌令)についての総合的研究をめざすものであった。すなわち、服忌令がどのような過程を経て成立したか、中国の喪服礼や日本令の服假制、中世の神社等の服忌令などと比較してどのような特質を有するか、幕府服忌令は、どのような内容・構造を有するものであるか、そこにはどのような親族関係が反映されているか、服忌令はどのように運用されていたか、幕府が服忌令を制定し、その遵守を要求したことは、幕藩制国家においてどのような意義を有するものであったか、幕府の服忌令と藩の服忌令はどのような関係にあったか、服忌令を中心とする幕府の穢の体系(穢のヒエラルヒ-)は、朝廷の穢の体系とどういう関係にあったか等、服忌令をめぐるさまざまな問題を解明して、服忌令の全体像を明らかにするとともに、幕藩制国家秩序の中に、これを正しく位置づけることを意図するものであった。 平成7年度から3年間科学研究費を授与され、さらに多くの史料を検討することができるようになったことにより、従来到達していた見通しを確認するとともに、今まで知り得なかった新しい知見(例えば、貞享元年の幕府服忌令制定公布前における幕府服忌制度の存在、近世における「穢」の特質、金沢藩の服忌制度など)を加え、上記諸問題を、かなりの程度解明することができた。そして従来の諸論文に、この3年間の研究成果を加えて、著書『近世服忌令の研究-幕藩国家の喪と穢-』を公刊することができた。これによって私は30年余り前から抱えていた研究テーマを集大成することができたのであり、心から謝意を表したい。もちろん、まだ充分解明できなかった点も多々ある。今後もさらに研究を深めてゆきたい。
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