ロシアの93年憲法の原理と体系を明らかにするため、まずは制憲過程の分析を改めて行ない、最高会議、憲法委員会、憲法協議会などの議事録を入手し、その審議経過をフォローした。その結果、市場経済体制をめざし、立憲国家を標榜しながらも、西欧流の市民社会、社会国家といった問題と自由主義的憲法理論を底流とする傾向と民族的契機の重視や過渡期の権威的支配の不可避性を強調する傾向が、いわゆる「改革」派と「保守」派、脱社会主義と親社会主義の対抗という構図に収斂させえない、相互に絡み合った複雑な構造が鮮明に浮び上がった。 93年憲法制定後に、連邦政府はいくつかの構成共和国と権限区分条約を締結し、連邦制のあり方に新たな波紋を投げかけ、最近では州や地方とも連邦政府は権限区分協定の締結を始めた。立法機関として期待された議会は、その会派構成上の問題からかつての最高会議、人民代議員大会と同様、重要案件では機能的な対応をしえないままでいる。権力分立をいいながら、三権の上に「超然」とする大統領が、大統領令という形で事実上の立法機能を果たすことが例外状況ではなくなっている。 こうして、現実のロシアでは、チェチェン戦争が提起しているような連邦制のあり方とともに、大統領権限の行使のあり方、ひいては権力分立と大統領制の関係などをめぐって、現実政治の要請と立憲主義の緊張が特に厳しく問われている。かつて憲法制定問題が政争の具に堕したように、「立憲主義」の強調は必ずしもロシア社会の西欧化、市場化と整合的な形では問題にしえなくなっている。
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