アメリカ会社法においては、大株主が少数株主に対して忠実義務を負うということは確立した判例法理である。しかし、アメリカ会社法は判例の積み重ねによって発展してきているため、判例が展開してきた足跡を丁寧にたどらない限り、アメリカ法で考えられているところの大株主の忠実義務の内容を正確に理解することはできない。本研究においては、どのような事実関係の下で、どのような法理論の展開を経て、裁判所により大株主に忠実義務が認められることになったのかを明らかにした。 親子会社を考えるとき、大株主である親会社が子会社と取引をする場合、大株主を、子会社の少数株主及び子会社のための受託者(fiduciary)とみなし、大株主である親会社に忠実義務を課すことがある。判例法の発展に沿って見ていくと、まず最初に、大株主の少数株主に対する忠実義務が認められている。すなわち、1896年のFarmers'Loan & Trust Co.v.New York & Nothetn Railway Co.事件である。少数株主が大株主を直接に訴える権利を有することを認めたのは、1919年のSouthern Pacific Co.v.Bogert事件である。ここで、連邦最高裁判所のブランダイス判事は「大株主は支配権を有しており、それを行使するときには、大株主と少数株主の関係は受託者的関係(fiduciary relation)となる。」と述べた。親子会社間の取引が有効であるためには、取引の内容が本質的に公正であることが要求される。 このほかに、大株主の忠実義務としての情報開示義務がある。1977年、Lynch v.Vickers Energy Corp.事件の判決において、デラウェア州最高裁判所は、大株主の少数株主に対する忠実義務としての情報開示義務を認めた。そして、本研究は、デラウェア州の裁判所が、1980年代、90年代を通じて、100件を超える数多くの判例により、大株主の少数株主に対する忠実義務としての情報開示義務を確立し、発展させてきたことを明らかにした。
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