初年度の平成7年度には、主として60年代のアジア地域主義の動向に関するアメリカ政府外交文書および議会資料の収集と分析を進めた。具体的には、ケネディおよびジョンソン政権期の国家安全保障ファイル、議会聴聞会議事録などのマイクロ資料を中心に、ケネディ政権の新太平洋共同体構想、ジョンソン政権の対SEATO政策の経済重視への転換、ASEAN、アジア開発銀行(ADB)、アジア太平洋協議会(ASPAC)の創設に至る政策決定過程に焦点を合わせて研究を行った。これらの地域機構の成立におけるアメリカの役割については先行研究が皆無に等しく、その政策過程の歴史的解明自体が大きな課題となる。今年度の調査を通して、現在入手可能な資料に基づき、その概略を把握することはできたと思われる。しかし、依然として国務省のデシマルファイルなど実務者レベルの文書が、60年代に関しては、未公開であり、政策決定過程の詳細を解明するには不十分な状態にある。今後、当時の新聞・雑誌および二次文献を最大限活用してそれを補いつつ、アメリカ政府内の議論の構図を官僚政治モデルに基づいて整理することを目指したい。これらの作業を通して現在まで暫定的に得られた仮説的知見としては、(1)アジア地域機構創設の「財源」の投入への積極姿勢への転換はジョンソン政権期に本格化すること、(2)ベトナム情勢の緊迫化が大きく影響していること、(3)安全保障担当補佐官ロストウが政策転換の過程で中心的な役割を果たしていること、(4)韓国、フィリピン、マレーシアなどアジア諸国のイニシアティブが際だつこと、(5)それとも関連して、アメリカの政策姿勢が従来の日本重視一辺倒から、アジア反共諸国の政治経済的強化への転換の傾向が見られたことなどを指摘できる。なお、50年代に関しては、李承晩をはじめ、アジア反共政権とアメリカとの対立を地域政策の文脈で捉え直す作業を続け、その成果の一部を発表した。
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