中ソ関係のソ連側資料はソ連邦崩壊後、ある程度使えるようになった。さらに中国側資料を含め、中ソ間で1950年代、中ソ指導者間に生まれた認識のズレから、次第に相互不信がエスカレートしていく構造が出来上がっていく過程についての研究を深めた。中ソ対決は1969年3月、中ソ国境を流れるウスリ-江の川中島の珍宝島で両国国境守備軍が戦った珍宝島事件でピークを迎える。この事件についても、両軍指揮官の回想を入手し検討した上で、中国黒龍省虎林県の現地を訪れて、事件の真相を探った。珍宝島の対岸に位置する「209高地」(事件の際、ソ連側から砲撃を受けた。高さが209メートルなので、このように呼ばれている)に登って、考察した。事件は1969年3月3日と15日の2回の大きな衝突からなるが、第1回衝突は中国側優勢、第2回衝突は、敗勢を挽回しようと戦車まで動員したソ連側が優勢であったことが、裏付けられたと言ってよい。また、珍宝島が川の主要航路の中国側に位置していることも確認できた。
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