(1)明治日本の政治学・法律学が近代中国に受容されるに当っては、日本で翻訳された欧米の経済学・法律学の重訳という形態を採ることが多かった。しかし、より重要な経路として日本人学者の著わした論説による理論継受を看過できないことが明らかになり、明治30年代における日本の学問状況を調査することに着手した。特に政治学の小野塚喜平次、法律学の穂積八束、美濃部達言副島義一らの与えた影響力については今後も検討していく必要がある。 (2)近代中国が政治学・法律学を日本から継受したのは、日本の国民国家形成をモデルとするという意図に発していた。そこで具体的に明治日本がいかなる形で中国人にアドバイスを与えたのかを確認するため、清朝派遣の憲政考察大臣らに対していかなる講義が行なわれたかを史料的に調査した。これにより、有賀長雄や穂積八束らの示唆した内容が明らかになった。 (3)以上を踏まえて、梁啓超と明治法政学について、その関連を調査した。
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