(1)今年度は戊戊変法の後に日本へ亡命し『新民叢報』などの枢誌を刊行して、清末の中国のみならず、朝鮮やヴェトナムなどの東アジア世界に日本で採取した法政理論の普及に大きな影響を与えた啓超について調査し、現在これをまとめ発表する作業を進めている。 (2)具体的には欧米の法政思想や政治体制の理解に関して染啓超がまず加藤弘之の影響を受けたことを明らかにし、そこから染啓超がドイツのブルンチュリの法律学を知るに至ったこと、そして次に孫文や注兆銘らとの論争を経るなかで高田早苗や淳田和民らを通してボルソハイムやラインシュの理論を受け入れて民族帝国主義という枠組で世界政治を認識するに至ったプロセスを明らかにすることができた。 (3)また、染啓超が革命派として理論的に対抗するために案出しかととされる開明専制論が実は染啓超の創業ではなく、当時法政大学法政速成科で教えていた憲法学者 筧克彦の明治立憲制についての解釈として作られた概念であることを明らかにすることができた。 (4)さらに清朝が新政改革に着手するや染啓超は議会制や選挙制度の構想について雑誌『政論』などを舞台に精力的主張していくが、その際に染啓超が準拠したのが小野塚喜平次や美濃部達吉らの政治学や憲法学でよったことを調査した。 (5)以上のように、染啓超の思想的変遷を詳細に跡づけることによって清末の中国人知識人が当時の日本の最先端の法政理論を積極的に摂取していたことがわかり 思想連鎖という作業伝説によって東アジアと欧米の法政理論の形成に日本が果たした役割を実証できるという結論を得た。
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