本研究の目的は、第二帝政期における国土改良・都市計画事業を、それらを実際に担当した土木公団エンジニアの著作を通じて、技術面や財政面から総合的に評価することにあった。平成7年度には、交通網整備が地域開発に及ぼす影響に対するエンジニアの評価を確認したあとで、労働者住宅の建設を含む街路整備の状況を探るために、資料収集を開始した。いくつかの労働者住宅の設計図まで入手することはできたものの、本研究のこの部分に関しては、土木エンジニアの開発理念を確定する作業がまだ残されている。 平成8年度には、農村部における国土改良事業について、ボルド-市の南部に広がるランド地方の土地改良事業を中心に研究を進めた。1857年から精力的に展開されたこの土地改良事業は、地域の経済開発を主目的としていた。それゆえに、事業を推進した土木エンジニア、シャンブルランも松脂や木材生産の収益性を数字をあげて強調している。これは、交通網整備の場合のように、多くの公共事業が計量不可能な社会的便益(情報伝達の改善など)を事業の正当性の根拠としたのとは、大きな違いである。また、この事業が産業革命に伴う農村経済の変容(とくに林業の方向転換)と軌を一にするものだったことも明らかにできた。技術上の改良点としては、防砂林の植林技術の改良や開放型の排水溝によるコスト削減が挙げられる。事業費用は大体地方自治体による共有地の売却によって捻出されたが、中央政府が事業を代行した場合には改良地の収益から費用を回収することになっていた。 従来の研究では、第二帝政期の公共事業をナポレオン3世の「上からの」国内政策として捉えてきたが、ランド地方の土地改良事業については、現場の土木エンジニアの先行事業やそれに追随する民間事業の存在が確認された。それゆえに、中央から派遣されたとはいえ、長期の現地任務にあたっていた技術官僚が地域のニーズをくみ上げ、民間の活力をひきだしていたことが指摘できる。
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