1990年代のバブル経済の崩壊以後、日本企業の雇用圧縮は主として企画・研究・営業などの間接部門を中心に進められ、工場生産部門では大規模な工場生産能力の海外移転や縮小によって圧縮が進められた。1996年央の政府公式失業統計では、戦後最高水準の3.5%の完全失業率が記録されたが、その内訳をみると、上記二つの方向での企業の雇用圧縮戦略が主要な原因と考えられる。しかし問題は、バブル崩壊からの景気の回復過程で、それに応じた雇用拡大が進んでいるかといえば、事態はそれほど楽観的ではない。最近やや緊張をゆるめてきた円高傾向も、もはやかつてのように集中豪雨的輸出によって国内過剰生産能力のはけ口を模索するという条件はなく、むしろ、生産基地の東南アジア等への海外移転は今後も進むものと思われる。 製品開発を中心とした企業の人材管理・育成政策に関する数社からのインタビュー調査によれば、開発部隊への企業の要請は今後さらに高くなるものの、市場でヒットする新製品の開発が近年ますます難しくなっている状況下では、従来のように大量に若い人材を採用して機の熟するのを待つという方式を日本企業がもはやとり得ないということが明らかになった。 他方、国内産業の空洞化による国内失業率の上昇に苦しむドイツでは、最近労働関係コストの圧縮と企業のリストラへの取り組みが急速に進んでいる。アジア特に日本からの競争圧力は、ドイツ企業の急速な組織変更と人材開発方式の変更を余儀なくしている。 企業の雇用圧縮に対する労働市場施策は、マクロにおける雇用水準の改善とミクロにおける企業の人材育成制度との接合をさらに求めている。
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