日中戦争から太平洋戦争期の樺太財政を支えたのは、森林収入と戦時増税であった。後者は、法人資本税、資本利子税、相続税、外資債特別税、揮発油税の導入に始まり、当年度限りの所得や公社債利子、奢侈品について課税をおこなう、「北支事変特別税」が新設された。 加えて当該期の樺太歳入で忘れてはならないのが、石炭の増産対策費としての増産奨励金、新坑開発助成金、買取価格補償金として樺太財政に繰入れられる一般会計からの補充金である。この補充金はとくに太平洋戦争期には巨額になり、しかも樺太と同様戦時の石炭生産を担う朝鮮や台湾とは比較にならないほどの大きな額であった。 歳出では、拓殖事業費と石炭の増産関係費、そして臨軍会計への繰入が3本柱であった。鉄道は収入こそ一定の金額があるが、収益はそれほどでもない。 拓殖事業費は鉄道の建設改良、国有林事業の経営、道路を港湾の改修が主要な事業であり、とくに港湾の修築は石炭と木材、そしてパルプの日本本土への移出が最重点課題となった関係もあって巨額の財政資金が投入された。鉄道の建設改良費が樺太行政の内地編入がおこなわれた関係で特別会計に計上されなくなると港湾と国有林経営費が歳出の2大科目となった。 こうしたインフラ投資にもかかわらず、すでに1942年度以降船腹問題が逼迫して石炭と木材の滞貨が起こっていた。すなわち本斗港は利用価値が少なく、真岡、敷香港もあまり有効ではなかった。
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