ビッグビジネスが登場した重化学工業の研究に比して、中小企業中心の工作機械工業に関する歴史研究は極めて遅れており、ハイパー・インフレーションに始まり合理化運動、世界恐慌、ナチス政権、軍備増強と、まさしく激動の時代の中での斯業の実態はこれまで断片的にしか知られていなかった。本研究で明らかになったその要点は以下のとおりである。 まず、第一次大戦中に膨れ上がった工作機械生産能力は戦後に急速に整理されたと予想していたが、これに反して、当初はインフレ景気の中で活況を享受したのであった。しかし、1923年の通貨改革に伴う不況により倒産、吸収合併が相次いだ。その後のドーズ・プランにより外資が流れ込み産業合理化運動が展開するなかで工作機械工業もあるていどの回復をみたが、内需は1928年には早くもピークを迎えた。それに代わって大きな需要を提供したのが、五ケ年計画を開始したソビエトを中心とする外国市場であった。 しかし、1929年の世界恐慌とブロック経済化の進展はドイツの工作機械工業に未曾有の打撃を与えることになり、生産は半減し失業者が急増した。そのような中で、1933年のナチス政権の誕生による公共事業政策、自動車工業振興政策、軍需産業振興政策は工作機械工業にかつてない活況をもたらし、生産は年々急増した。従来あまり知られていなかったが、この結果、1938年にはドイツはアメリカを凌駕して、最大の工作機械保有国になるとともに、高い工作機械生産能力を保持するに至った。これが他の重要資源の確保の見通しとあいまってナチスによる総力戦の物的基盤を提供したのである。 第二次大戦中のドイツ工作機械工業についても未だ解明されていない問題が多く残されている。米の戦略爆撃調査団報告の本格的検討も含めて、今後あらためて取り組まねばならない研究課題である。
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