本研究は、近代日本における巨大鉱業の経営史を、三菱をケース・スタディとしてとりあげ、1910年代について実証的な解明を行ったものである。すでに研究成果の一部は、1996年度経営史学会大会(横浜市立大学)において発表し、また学内の紀要に3つの論文としてとりまとめてきたところである。 その概要を示せば、次のようになる。まず第1に、三菱銅の生産・売約・売捌の数値を詳細に検討することにより、三菱についての最も信頼すべき数値を明らかにしえたことである。この作業を通じて、従来の企業別産銅高集計の方法論的不備が明らかとなり、また、三菱の特有な生産システムと集中度の高め方も明らかにされた。第2に、大戦前の三菱の売銅活動の特質が、三菱合資神戸支店報告の検討より明らかにされたことである。そこでは、国内別販路、価格、売約条件等が分析され、三菱が価格変動によるリスクを避けるために、満足すべき価格における大量販売、という方針をとっていたことが解明された。第3に、大戦期には、従来の銅流通の国際的あり方が崩壊し、三菱が新たに銅市場を開拓したことが明かとなった。それは、ロシア市場への進出と、その転換に伴うロンドン支店の開設であった。第4に三菱は、銅の元扱店をこの時期に、神戸支店から大阪支店へと移し、大阪製煉所のもとに伸銅業へと新たに参入して、国内市場重視の戦略をとったことが明らかにされた。
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