本年度は、まず成虫コオロギの6種の尾葉感覚性介在神経の方向感受性をこれまでよりも詳細に調査した。これにより空気流に対して個々の介在神経が示す特徴ある方向感受性が一層明らかとなった。次に、感覚入力除去後のコオロギの逃避行動の変化、およびその回復の過程を行動学的に解析した。コオロギの主な空気流感覚器は腹部末端に一対ある尾葉上に存在する機械感覚毛であり、一本の尾葉に数百本存在する。まず片側の尾葉を全て除去した成虫個体に様々な方向からの空気流刺激を与え、それに対するコオロギの反応率(逃避行動発現の割合)や行動の方向性が正常個体と比べどの様に変化するかを調査した。行動調査は尾葉切除後約30日にわたり定期的に行い、切除後の時間経過と共に行動がどの様に回復していくのかを追跡した。その結果、片側尾葉切除により、切除前に約50%あった反応率が切除1日後には5.5%まで減少したことから、反応率の決定には感覚入力の量的な要素も関係することが判明した。低下した反応率は8日後には15.3%まで回復し、以後29日後まで1日後と比べ有意に高い水準を保持した。一方、行動の方向性も片側尾葉切除により低下し8日目までは回復が見られなかったが、15日目には明らかな回復が見られ、29日後に至っても回復した状態が保持された。これらのことから、コオロギの体内で何らかの補償作用が働き反応率と行動の方向性に回復が起こることが明らかとなった。用いたのは最終脱皮を終えた成虫コオロギであるために尾葉上の機械感覚毛の再生は起こっていない。このことから、この補償作用が神経系内で起こっていることは確実である。また、片側尾葉切除後、反応率と行動の方向性が異なる時間経過で回復するという事実は、行動のトリガーとその方向決定が全く別の神経動作によりコントロールされている可能性を示すと同時に、神経回路内で起こる補償作用が単一のニューロンの単純な機能回復では無いことを示唆している。これらの事実は今後進めていく神経生理学的調査の重要な手がかりとなる。
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