本年度(最終年度)の研究は、「通路空間の配置計画」に関する変容過程の実証的研究である。本山萬福寺の伽藍構成の変容を伴うような天王殿の左右の廊下の付設は宝永6年(1709)に始めて出現した後に起った歴史的な転換点であることを文献資料などを用いて実証的に説明することができたと考える。同時期に一挙に新伽藍が計画し建設されていた甲府の永慶寺においては伽藍中枢部分が方形の通路空間を当初から計画されていたことやこの永慶寺の伽藍建設に萬福寺お抱え大工棟梁である秋篠家が係わっていることも分かった。次に、横山秀哉博士が既に指摘してある黄檗派寺院から始まったと考えられる「坐牀をもつ土間式本堂」と僧侶の生活空間である庫裏とを繋ぐ「接続する廊下」の遺構を尋ねて全国の黄檗寺院を深し廻った所、東海地方を中心にまだ幾つかの建築遺構を深し出すことに成功したので、これらを調査して研究報告を日本建築学会東海支部で発表する予定である。この調査の過程において所謂黄檗天井をもつ大層貴重な白岩寺の江戸時代の「坐牀をもつ土間式本堂」も見つかった。こうした「接続する廊下」が黄檗派寺院に必要な理由としては『黄檗清規』から導き出される黄檗禅に特有な坐禅修行の一つの形式と関連があることを指摘した。『黄檗清規』から読み取れるもう一つの修行である「繞仏」については「接続する廊下」や堂宇の前面一間吹き放し部分を連ねて構成される、例えば長崎の唐寺・福済寺の伽藍のような「廻廊」がこれに対応したのであろう推定を提示した。その他の諸問題として、従来から研究してきた「大雄宝殿の荘厳化」、「確立前の寺院についての建築的性格」、「本堂としての定着」についても一定の成果を上げたことを述べた。最後に、今後に残した課題として「江戸時代における他派の仏教寺院における信仰空間との比較」に取り組みつつある現状をも報告した。
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