この研究は、我が国有数の良好な大都市郊外住宅地として知られる阪神間住宅地の形成過程を、主として住宅地形状、現存住宅、文献などを通して分析、考察したものである。 これらの住宅地開発は多岐にわたるが、その発生は凡そ明治30年代(1900年)中頃から昭和戦前期(1940年代)にかけて急速に進められ、現在の住宅地の骨格はほぼこの時期に形成されたことが明かになった。 また開発の手法として、イ)私鉄による住宅地分譲方式、ロ)民間土地会社による住宅地分譲方式、ハ)耕地整理組合による住宅地分譲方式、ニ)個人による宅地売買方式、ホ)その他などに分類することが出来る。これらの手法はそれぞれに特徴を有しており、各地域で独特の住宅地景観を形成していることを実証することができた。 さらに時代的な背景として、日本の資本主義発展期に大都市への人口が集中した結果市外住居のすすめが喧伝され、大阪、神戸という大工業、商業都市の近郊が住宅適地として脚光を浴びることとなった。その住宅地の性格も、いわゆる給与所得者による一般中流住宅から、大手企業の経営者たちの大邸宅まで多様な展開があった。 これらの現象は、又当然建築家の参加が必要であり、この阪神間の住宅地の発展は、そのままわが国の住宅近代化のうえで重要な役割を果たしてきたと見ることができる。 また住宅地の発展は同時に他の社会的、都市的条件の整備を伴うことを必要とされ、良好な居住環境を生むために、交通機関の発達、教育、文化施設の充実、自然的環境の整備などが、並行して進められ、優れた地理的条件と相まって、魅力的な住宅地の形成が積極的に進められたことが分かった。
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