○北部九州に於ける近世社寺建築の作風としては次の結果を得た。 1.大工志賀幸太郎藤原貞家の作品と作風:大工志賀幸太郎藤原貞家は伊万里市伊万里神社本殿を文化14年(1817)に、西有田町龍泉寺山門を天保4年(1833)に建立し、どちらも現存する。作風は流水の彫物を得意とし、特に流水から鯉が頭を出している彫物は宝永5年(1708)建立の多久聖廟のその彫物の影響を受けていると推察した。 2.大工天本長右衛門の作品と作風:大工天本長右衛門(墨書より宮浦西に居住)は、鳥栖市西清寺本堂を元文5年(1740)に、基山町の大興善寺旧護摩堂厨子二基を宝暦12年(1762)に建立し、いずれも残る。西清寺本堂の厨子は脇障子付きで珍しい。この形式は、大興善寺旧本堂厨子に見られるので、天本長右衛門はこれを参考にしたものと推察した。 3.大工岡字右衛門尉の作品と作風:大工岡宇右衛門尉は鹿島市の松岡神社本殿を寛文12年(1672)に、天満神社本殿を延宝7年(1679)に建立した。どちらも残る。作風は椿の花の彫物を得意とし、菱形の文様を好むことを推察した。 4.臼杵大工の作品と作風:臼杵大工として、板井又生、西倉源五郎清輝、西倉辰三清光、東秀蔵の作品と作風を検討したが、いずれも明治以降の作品しか残っていない。 ○今後の研究の展開:大分の大工利光家、矢野家、福岡の大工山家、吉田家などの資料を収集できたので、これらを分析険討し、それぞれの作品と作風を明らかにすると共に、大工流派の発生過程まで研究を展開していきたい。 尚、以上の研究成果は実績報告書として冊子にまとめた。
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