1.稲作農耕は今から約7500年前、中国揚子江下流域に起源し、北上して朝鮮半島に導入され、半島の西海岸を南下して我が国北九州に渡来した。水田稲作農耕の技術は渡来期から、灌漑・排水組織が一体となって導入された。 2.水田渡来期の開田地は、扇状地や沖積平野の自然堤防背後湿地の湿潤な地に求められた。その後、低台地の縁辺や、三角州に広がっていった。 3.渡来初期の開田地は自然河川沿に求められ、堰により水面を上昇させ分水し、用水の掛流 4.弥生時代後期になると用水路の規模も拡大し、直立型から斜交型の堰が登場して、河川統禦の技術が進歩し開田地が拡大した。この時期、鉄製の鍬が使用され始め、開田地の拡大に拍車をかけた。 5.畿内以西と以北の開田立地には違いが見られ、以西では沖積平野か開田地として求められたのに対して、以北では台地が開田された。その理由は、以北では火山降灰による災害を避けるためであったらしい。
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