永井潜『生命論』(1913)、H.F.Osbornの著作の邦訳(1931)など、生命の起原への言及を含むものが刊行されてはいたものの、日本における生命の起原への注目は、1940年代になって、哲学者山田坂仁によるA.I.Oparinの著作の英訳(1938)の邦訳から始まり、広範な人々に受容されたことは、書評などからわかる。戦時中の中断の後、戦後すぐさま(1946)Oparinの旧版が復刻出版され、当時のソ連への関心とも相俟って、オパーリン説が普及した。 とはいえ、生命の起原説への広い関心は、ソ連のものに限らず、J.D.Bernal'The Physical Basis of Life'(1951)が『生命の起原』と題して邦訳出版されるなど、その関心の高さが示されているが、S.L.Miller(1953)のアミノ酸合成の実験への注目は、即座に広い範囲で現れることはなかった。 55年のオパーリン招請にも現れているように、生命の起原論への関心は急速に高まり、オパーリン説に対する赤堀四郎による独自の実験的研究の寄与もあった。57年に生命の起原についての国際シンポジウムがモスクワで開催され、日本からは赤堀四郎、石本真、尾田義治が出席、報告を行ったことからも研究が緒についたことがわかる。 1960年代の生命論は、DNAの二重螺旋のモデルの提出以来の分子生物学の台頭への注目に移り、生命の起原は、脚光を浴びる時期を終えたが、生命の起原研究は、欧米での研究の確立に呼応して定着した
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