近世大和盆地の綿作は、田方綿作を中心としていたが、種々の条件の変化により衰退していったことが知られている。当研究では、大和盆地内においてこのような綿作の衰退が一様に起こったのではないことから、その地域差に目を付け、綿作衰退の地域差の要因を灌漑条件と関係させて考察を行うこととした。大和盆地の溜池については、明治39年『奈良県溜池整理調査書』を参考とした。 本研究では、まず大和盆地内の諸村における綿作率を史料から求め、その地域差を究明した。その結果、十市郡・式上郡付近が最も田方綿作率が高く、次いで中部の山辺部、北部の添上郡などにおいて高率であったことがわかった。次に、地域別の田方綿作率の推移を4つの型に類型化した。第一の型は18世紀初期より急速に田方綿作が衰退する、早期衰退型であり、これらは盆地周辺部の山麓部に位置した比較的水利条件に恵まれた地帯であった。第二の型は、18世紀を通じて30%前後の田方綿作率を維持するものの、19世紀に入ると田方綿作が衰退する後期衰退型である。これらの地域では、18世紀中頃より、溜池の修復や新たな築造がなされて水利条件を好転させてきた地域であった。第三の型として幕末期にかけて一時的に田方綿作率が上昇する、幕末期一時増加型であるが、これらは全体的に水利条件的には共通性は見られなかったが、江戸末期の地震による池の堤の崩壊などが関係していると推測されるケースもあった。最後の型は、期間中を通して一定の田方綿作率を維持する維持型であるが、これらは基本的には近世を通じてほとんど水利条件の向上・好転がみられなかったと推測される地域であった。以上、大和盆地の田方綿作推移の地域差は、各地の水利条件特に溜池灌漑のあり方と密接に関わっていたことが推測された。
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