日本では、高度経済成長期に近代家族の主婦を養成する女子用教科とされた中学校・高等学校の家庭科は、「女子差別撤廃条約」(1979年12月、国際連合採択)の批准に伴い、1989年告示の学習指導要領で男女共修とされた。この条約は、近代に再編された性役割分業の撤廃を明記しており、教育課程の男女同一化のみならず、家庭科に主婦養成教科からの脱却を、即ちジェンダーの視点から近代家族像と主婦、並びに特定の価値を伝達・注入する教育のあり方の問い直しを要請するものであった。 本研究では、まず、戦後の教科書における近代家族像の語られ方を検討した。中教出版の「家族一般」教科書では、ホスピタリズムや子どもの非行などの問題を掲げることにより、近代家族像を「本来の・あるべき家族像」として強化するという構図がみられた。それは、家族の現実や問題を子ども自らが検討する道を閉ざしてきた。このような学習の克服を模索するために、第二に、子ども・青年の家族や生活の問題を取り上げ、解決するために家族学習が行われてきた米国の教科書(1990年代に発刊)を検討した。米国の教科書では、家族と個人が向き合う「課題」は、離婚や高齢化などの「変化」とアルコール依存症や暴力などの「危機」に区別され、課題自体の検討と対処のために記述されていた。そこには、自己選択と自己責任に帰結したり、卑近な対処のための学習に陥る危険性もみられたが、子ども自らが現実を調査し、相対化しつつ現状を打開していく学習が生じる可能性もみられた。最後に、日本の家庭科の課題を明らかにするために、日本社会と家族の現状を検討した。日本では「家族賃金」を保障する「日本的雇用」と社会保障システムにより性役割分業が支えられてきたため、欧米諸国のように近代家族からの離反としての「家族の多様化」はみられず、「近代家族」の形態は今日なお強固に維持されている。しかし、近年「日本的雇用」の解体が提案されており、「近代家族」を相対化し、家族と個人のあり方を問い直す学習を組織していくことが必要であるといえよう。
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