リン脂質トランスロケースはその可溶化・再構成による活性測定がきわめて困難であり、従来の生化学的あるいは分子生物学的なアプローチによる解析が不可能とされている蛋白質である。本研究においては、抗イディオタイプモノクローナル抗体を用いた免疫化学的手法および膜リン脂質配向性変異株を用いた細胞遺伝学的手法を駆使することにより、細胞膜中のリン脂質の配向性を制御する因子およびリン脂質トランスロケースを分離・同定し、さらに膜リン脂質の非対称分布の生理的意義を明らかにすることを目的に研究を開始した。その過程で、(1)生体内タンパク質中のホスフアチジルセリンとの特異的相互作用に関わるペプチドモチーフの同定に成功した。(2)特定のリン脂質を特異的に認識するモノクローナル抗体あるいは小分子ペプチドを開発し、生体膜中でのリン脂質の分布あるいは配向性を可視化することに成功した。(3)膜リン脂質が骨格系蛋白質のダイナミズムの制御因子として重要な役割を果たしており、膜リン脂質の非対称分布が崩れた部位を起点として細胞骨格系の再構築が誘導されることを見い出した。従来、細胞質分裂あるいは形態変化などの細胞のダイナミックな動きは骨格系蛋白質の解析が中心となって研究が進められており、骨格系を包む膜系は細胞骨格の動きに付随するものと想定されていた。本研究の成果は、膜リン脂質の存在状態あるいはその変化が直接に細胞骨格系のダイナミクスを制御することを示しており、生体膜におけるリン脂質非対称分布の生理的な意義を示した最初の報告となった。
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