本研究の研究目的は、[1]従来多くの哲学者が採用してきた行為の説明の不十分さを指摘すると共に、[2]行為の個別化をうまく記述する能力をもつ理論的言語的枠組を提供することである。 [1]を明らかにするために、「出来事存在論について」において、デイヴィドソン型の行為分布が行為をめぐる問題を適切に説明できているのかを詳細に検討した。その結果、デイヴィドソン型分析は主に以下の二点に問題をもつことが判明した。 〈1〉複数の記述をもつ行為が同一であると称されているが、その同一性の主張は妥当か。 〈2〉行為文の論理形式をめぐる問題の多くが説明できない。 特に(2)については、(1)標準的な副詞的修飾語(場所、時間、道具など)以外の副詞句の扱い、(2)因果的文脈での副詞消去推論、(3)目的語の消去推論、(4)行為文からの行為者に関する存在言明の帰結等の問題が解決できないことが明らかになった。 この結果をもとに「行為文の推論構造について」で、標準的な種類の副詞(道具)を含み、因果的言明を含む行為に関する推論をとりあげ、デイヴィドソン型分析は、 (1)因果性に関する考察が不十分であり、 (2)行為の個別化についての十分な検討がなされておらず、 (3)分析の説明枠組みが不自然である ことを示した。さらに、[2]で目的とした新し言語的枠組みを示すことによって推論を書き直し、その推論が因果関係と言語上の規則が隠伏的に使われている三段論法に過ぎないことを明らかにした。この成果は、出来事や行為の分析一般に拡張できると考えられるので、今後は上記の残された問題の解決と、さらに詳細な行為の分析を課題としたい。
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