20世紀初頭に始まる実験的でラディカルな芸術上の試み-フォーヴィスム、キュビスム、未来派、シュプレマティスム、ダダなど-は、早くも1910年代いっぱいで行き詰まることになった。その反動として1920年代に現れたのがいわゆる「古典回帰」である。カルロ・カルラもその例外ではなく、前衛的な未来派が終息したあと、ジョルジョ・デ・キリコに接近し、形而上派としてシュルレアリスムの運動に連動して行く。未来派のボッチョ-ニや形而上派のデ・キリコがドイツの美術と思想に大きな影響を受けていたのと同じように、カルラ自身もドイツの美術史学の最新の成果を取り入れながら、自国イタリアの絵画伝統を検証し始める。そのドイツ側に立った視点が彼独自のジョット評価につながって行ったと推測される。 キュビスムを経た後のピカソも、シュプレマティスムを経た後のマレーヴィッチにしても、結局、自国の美術伝統を受け継ぐ方向で制作を続けた。その点ではカルラも同様だが、ただカルラの場合は、彼の絵画作品に直接過去の巨匠たちの影響が見られるわけではない。むしろ過去の作品のなかから現代的な造形価値を発見しようとする彼の批評活動の方にその姿勢を窺うことができる点がきわめてユニークなのである。実践的な創作活動をみずからの批評行為によって支えて行くという現代作家のひとつの典型を彼が作り出したということができる。
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