当該年度の研究によって明らかになった、『悲劇の誕生(Die Geburt der Tragodie)』(以下、GTと略記)の成立過程の概要は、以下のようなものである。 まず、ソクラテスに代表される合理主義的精神によって悲劇は滅んだとする、GT第8節から第15節までの原形をなす主張が、二つ公開講演『ギリシアの楽劇』(1870年1月18日)、『ソクラテスと悲劇』(同年2月1日)を通じて表明される。 次に、「アポロン的」、「ディオニュソス的」という対概念を中心とする、GT第1節から第4節までの原形が、遺稿『ディオニュソス的世界観』(1870年6月〜7月)、および、遺稿『悲劇的思想の誕生』(同年12月)において呈示される。 そして、『ギリシア的明朗性』(1871年の遺稿に見られる題名)、『悲劇の起源と目的:美学論考』(1871年初め、所謂「ルガ-ノ草稿」の題名)、および、『音楽と悲劇:一連の美学的考察』(1871年4月20日付の書簡に見られる、出版者エンゲルマンに送られ、後に返却された原稿の題名)等の題名の下に、ヴァグナ-宛の序文(第1稿、所謂「ルガ-ノ序文」、1871年2月22日付)を含む、GT第1節から第6節まで、および、第8節(後半)から第15節までの内容の著作の公刊が試みられた。 しかし、それは実現せず、結局、1872年の初頭に、第7節、第8節(前半)、および、第16節から第25節を付加した、全25節の本文、および、新たなヴァグナ-宛の序文[バ-ゼル序文](決定稿、1871年末)から成る著作『音楽の精神からの悲劇の誕生』が、出版者フリッチュを通じて公刊された。 さらに、1886年には、自著GTに対する7節から成る批判的序文「自己批判の試み」を付し、題名を『悲劇の誕生、あるいはギリシア精神とペシミズム』と改めた第3版が出版された。その際、全25節の本文、および、上記のヴァグナ-宛序文[決定稿]には、ほとんど変更は行われなかった。 以上の成立過程と著作の内容とを連関づけた研究の詳細は、紀要等を通じて公表する予定である。
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