本研究においてこれまで明らかになったことは以下のようにまとめられる。まず第一に庄内地方における農本主義的農民運動の多重的性格である。一口に農本主義的農民運動といっても、(1)加藤完治から山木武夫、渋谷勇夫らの系譜としてつらなる産業組合的農民運動、(2)安岡正篤から菅原平治、酒井忠良の系譜である松ヶ岡の開墾事業、酒井家の郷学、(3)篤農家の集まりとしての「天狗会」など、出自と性格を異にするさまざまな運動の存在が確認された。そのなかでも本研究においては、(1)に関して、旧新堀村、旧北平田村の役場資料やその他の資料の収集、分析を通して、産業組合運動に結実化しながらも戦時体制化のなかで満州移民など悲劇的な状況を生み出すことにもなる山木、渋谷をリーダーとする農本主義的農民運動の実態の一端を明らかにできた。そのなかではとくに当時の地主支配のなかで、自小作上層を中心とする農民たちがいかにみずから主体的に農業に取組み、そのなかからみずからの生活を切り開いていったのかが明らかになった。また(2)については松ヶ岡開墾場の経営の歴史を各種の資料にもとづきながら実態的に把握するなかで、明治の近代国家の形成の過程で士族層がいかなる対応を迫られたのかの一端をかいまみることができた。当時士族授産が次々と挫折していくなかで幾多の困難を乗り越えながら、現代にまでつながるムラの経営に成功した特異なケースとして注目に値するものである。 一年という限られた期間ということもあり、資料の収集に大分エネルギーをかけたといえる。まだまだ分析、解読を残している資料も多く、本年度の助成研究をきっかけにして、今後とも息が長い形で農本主義的農民運動の歴史社会学的研究を継続していきたい。
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