まず「満洲国」の日本人教師に関する日中の先行研究・文書資料の整理を行った。中国側の偽満洲国教育史研究(東北淪陥期教育史研究)には、日本人教師について言及がない。日本側の研究では、最も網羅的・体系的な資料集である『「満洲・満洲国」教育資料集成』(1993)全23巻に関係資料が数点補足されていた。その分析により以下のことが初めてわかった。(1)「満洲国」教育に関わった日本人教師たちは「日系初等教師」と通称されていた。(2)「日系初等教師」を確保して「全満」に配置する「満洲国」政府レベルでの政策は1937年に樹立され1945年まで継続した。(3)発足時の「日系初等教師」政策は日本国内の有資格者を「満洲国」政府が一括採用するものだったが、その後は日本国内の中等学校卒業者ほかを対象として「日系初等教師」を現地の訓練施設(学校)で養成する方法がとられた。 次に予備調査をふまえ、かつて「日系初等教師」だった7名について本調査および調査結果の整理を行った。7名それぞれのインタビュー記録をテープリライトし、その内容の分析から以下のような事実がわかった。7名が「日系初等教師」となった経緯は、すでに日本国内で小学校農科教員だった者が「本科正教員」相当資格の取得を希望して「渡満」したケースが1名、農学校卒業後の就職先として「渡満」したケースが2名、高等小学校卒業後の進学先として「満洲国」の日系初等教師養成施設(中央師道学院)に進んだケースが1名、旧制中学校卒業後の就職先として「渡満」したケースが3名である。最後の3名はいずれも沖縄出身者だった。学業成績が優秀だったこと、強い向上心を有していたこと、それらを満たす方途として「日系初等教師」となることを選択していたことなどが、7名に共通した点だった。7名の「日系初等教師」としての任地決定、職務内容の分析が今後の課題となった。
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