木簡は従来、文書木簡・付札木簡・習書木簡・その他に分類されてきたが、その機能に注目すると墨書が木製品としての機能を補完する「墨書木製品」という範疇を考えるべきではないかという私見を、最近出土の重要な古代史料である長屋王家木簡・二条大路木簡によって検証した。 また、日本古代の紙を媒体とする情報伝達と木を媒体とする情報伝達との接点を考えるための最重要資料となる正倉院文書と二条大路木簡について検討を加え、二条大路木簡に関する総合的な研究を行なった。その結果、二条大路木簡の性格について、基本的には聖武天皇の皇后藤原光明子(光明皇后)の皇后宮に関わる木簡群であること、そして皇后宮を支えた機構に彼女の兄弟たち、特に藤原四兄弟の末弟藤原麻呂の家政機関が大きく関与していたことを明らかにした。74000点に及ぶ一大木簡群の性格を明らかにできたことは当該研究の狭い範囲だけでなく、今後の日本古代史の研究、特に政治史、制度史、家族史などさまざまな分野にも大きな素材を提供できたものと考える。何よりもこれによって二条大路木簡と正倉院文書が光明皇后の皇后宮という同一の機構の史料であることが判明したことによって、両者を一体のものとして統一的に把握できることになったのは重要と考える。紙と木の使い分けという日本古代の情報伝達メディアの使い分けを具体的に論ずる前提が整ったといえる。今回の成果を受けて、今後さらに具体的に論じていきたい。 なお、二条大路木簡の個別の内容についての検討(志摩国の贄木簡)や、地方出土の木簡として注目を集める兵庫県出石町袴狭遺跡出土木簡についての総合的研究も行なった。
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