本研究は18世紀イングランドの監獄の社会史を構想し、囚人の視点にたって行為や機構をとらえることを課題とした。題材は1720年代のフリート債務者監獄である。 まず債務投獄制度、囚人の社会的・職業的構成、囚人の生活を考察した。債務投獄制度は、基本的には債権者に債務者の所在を確保するだけのものであった。フリートに収容された囚人は、ジェントルマン、国内商人、手工業者・熟練職人が多数をしめた。彼らの監獄生活を規定したのは、さまざまな場面でもとめられた手数料の支払いであった。囚人からの手数料はフリート監獄当局にとって経営の基盤をなしていた。それゆえ、監獄当局にとって囚人とは顧客でもあったわけである。両者は対立をはらみながらも相互依存的な関係にあった。 つぎに1723年から28年前後にかけて囚人がフリートの監督法廷である民訴法廷にたいして監獄の管理・運営の改善をもとめて行なった運動を検討し、そこから囚人の行動の特徴と意識とを析出した。囚人は人身に危害をくわえるような暴力をふるうことなく、監獄の経営責任者たる典獄ジョン・ハギンズと対峠した。そうした自律的な行動は、監獄のなりたちを規定した過去のとりきめにそっているという固有の正統性の意識にもとづいていた。この対立のある時点で典獄に対抗するため、ジェントルマン層をリーダとする囚人団体が形成された。それは後年、監獄の統治(秩序維持)の一端をになう組織となってゆく。 フリート監獄は社会的出自のことなる人びと(男)をほぼ共通の環境におき、そこでともに生活をさせた場であった。その生活のなかで、社会層のちがう人びとを団体というかたちで結びつける可能性をもった場であったように思われる。
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