弥生土器絵画は、弥生時代中期後半に近畿地方、特に奈良県唐古・鍵遺跡を中心にして東西に広がり、それらの絵画には画材の選択性・構図の共通性・表現様式の類似性という三つの特徴を指摘することができる。 縄文土器絵画の類例資料は、近年増加しつつあるが、それらを弥生土器絵画と比較した場合、現時点では後者のような顕著な特徴を見い出すことはできない。ただし、以下の二点に留意する必要がある。 まず第一点は、縄文時代中期に発達する土器表面への具象的表現。器面に蛇・半人半蛙・猪・山椒魚風の動物等を彫塑的に表現するという様式は、八ヶ岳山麓の縄文遺跡を中心として一定の分布範囲を有し、それらには弥生土器絵画とほぼ共通する画材の選択性・構図の共通性・表現様式の類似性等の特徴を指摘できる。しかも、弥生土器絵画が記号へと変化したように縄文土器絵画は単純な文様へと変化しているこのことは、社会がある一定の成熟度に到達した時点で起こりうる同一性を示唆しているものと思われる。 第二点は、縄文時代晩期終末期に出現する絵画風または記号風の表現。現時点では近畿地方と東海地方西部地域の遺跡から出土する土器の中に僅かに認められるものであるが、弥生土器絵画・記号へ連続するものであるかどうか、今後の類例資料の増加を期待しつつ、検討対象として視野に入れておく必要がある。 一方、古墳時代の絵画は中期の円筒埴輪に顕著に認められる。画材としては、鹿・馬?・船が多く、近畿地方を中心として関東地方へも伝幡している。しかも、それらの表現様式には弥生土器絵画に通じるものがある。前期の類例資料が乏しく、弥生土器絵画と円筒埴輪絵画との間には時間的空隙が存在するかのように見受けられるが、近年出土した兵庫県袴狭遺跡出土の木製品に描かれた絵画(古墳時代前期)等を勘案するならば、弥生時代中期以来キャンバスを替えながらも絵は連綿と描き続けられたと判断される。弥生土器絵画を代表する鹿の絵は、農耕祭祀との関わりで理解されているが、円筒埴輪は送葬用の器物であり、農耕祭祀とは直接結びつかない。したがって、弥生時代と古墳時代とでは、鹿を象徴とする観念に変化があったのか、または共通する別の観念に基づいて象徴されたものであるかについて再検討をする必要がある。見通しとしては、後者により高い蓋然性があるという前提のもとにその他の画材をも含めて総合的に検討していく必要があろう。 以上のように、弥生土器絵画はそれのみを対象としてその意義付けを行うよりは、前後の時代の絵画等の類例をも含めて比較検討することによって、それらが内包するであろう象徴性についてより理解が深められるということが明らかになった。今後はその前提に基づいて、縄文弥生・古墳時代絵画が有する象徴性についてより理解を深め、各々の文化が内包する精神的側面を浮き彫りにしていきたい。
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