戦前築かれてきた日本の英文学者によるヴァージニア・ウルフ研究の礎は第二次世界大戦下における熟年および若手研究者による翻訳を中心とする研究活動により維持され、戦後その流れは継続されることとなる。その中心的場となったのは明治31年4月創刊から現在に至るまで出版され続けてきた研究社の『英語青年』である。戦争中、思想弾圧による大学における英文図書の撤去にも大学関係者が抵抗するなど自由な学習および研究環境を守ろうという姿勢があり、また研究者も比較的自由に文学研究を継続し、さらに英語および英文学関係の専門誌である『英語青年』が発行し続けられた。1941年、ウルフの自殺が報じられると、同年の『英語青年』8月号ではウルフ特集が組まれた。また、ウルフの自殺が報じられた6月号では、前年出版された安藤一郎、西川正身訳の『女性と文学』(A Room of One′s Own)の紹介がされていた。戦局が激しくなると『英語青年』の発行が二ヶ月の合併号となったにもかかわらず、石田憲次、平田禿木、成田成寿、をはじめ日本で最初にウルフに関する学術論文を発表した沢村寅二郎が対訳と注を連載した。ウルフが唱えた思想と表現の自由と精神的独立、さらに戦争を含む男性社会への反発が示唆されている『女性と文学』が翻訳・出版され、反戦を織り込んだ小説『歳月』と『波』の試訳も出版された。さらに戦後のウルフ研究への影響を考えると、当時若い研究者であった柴田徹武士氏と故吉田安雄氏が戦中読破した成果が、1953年に出版された『ダロウェイ夫人』と集約されている。ウルフ研究を通じて、大戦へ対する強い反動を託した日本の研究者により、戦後のウルフ研究の基礎が構築され、そこに交差するイデオロギーの対立とその対立を超越したミソロジーが再構築されたと言える。
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