本研究は、対象となる文学作品を、平安朝から近代までたどる作業をほぼ終え、全体で五百枚(四百字詰め原稿用紙)程度の草稿を書き上げた状態である。ほかに、この研究の一部を形成するであろう著書『夏目漱石を江戸から読む』を上梓し、(中央公論社、平成七年三月)その一部、『三四郎』から『こゝろ』に至る漱石作品を論じた部分で、漱石作品内に描かれた「恋愛」が、近世の恋愛思想と通底し、それが西洋的な恋愛思想と混淆していることを論証した。草稿では、まず『伊勢物語』に見られる「恋愛」の二つの理想型、男の情熱的な恋愛と、「色ごのみ」の恋愛とを取り出し、この両者がそれ以後の日本文学のなかにどのように現れるかを検討するという形を取った。その結果、平安朝後期、『狭衣物語』『夜の寝覚』のような女性作家による作品群が、日本文学における「男の恋」の文学の頂点を成し、それが和歌と結びついた形で近世初期の仮名草子に至るまで続いていることを確認した。いっぽう、中世の文学や言説のなかには、「男の恋」に対して、それに「答えよ」という女性への責めが見られ、この傾向が仏教や儒教思想と結びついた女性蔑視に裏付けられていることを推定するに至った。次に、享保期を境として日本の恋愛思想は大きな変容を遂げ、文芸作品のなかで、激しい恋に身をやつすのは専ら女のほうになってゆく。そのことは、男の側での恋愛が、遊里を中心として栄えた文化のなかで、「色ごのみ」を賛美する形を取りがちになってゆくことと無縁ではないだろう。外国との比較で言えば、日本文学に描かれた恋愛は、平安朝末期に西欧的であり、徳川期後期に中国的であった。近代に入ってからは、急激な西洋思想の流入とともに、恋愛の形態も西欧のそれを模倣するようになり、徳川期には見られなかった「男の恋」が復活してくることになる。近代については、個々の作家とその作品を論じることで、その多様性を描きだした。
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