本研究においては対象となる期間を通じて、常に英米両国の基本的外交政策上のアジェンダに非常に高いブライオリティをもってのぼりつづけ、かつ、そのissueをめぐる両国間の意見が相違したとき、あるいは一致をみたときのいずれの場合においても、それが、両国政府の根本的戦後世界秩序構想の反映された結果であったというような一つの大きなissueに焦点をあてるものとした。それはすなわち、戦後のヨーロッパ大陸における復興および秩序形成がいかなる形でなされるべきかという問題であった。なぜなら、(a)この問題こそはまさに、それに積極的に関与することによって、アメリカをして戦後西側世界の盟主たる地位におくことになったissueであり、(b)またこの問題をめぐってしめされたイギリス側の対応こそが、自国に最も近接し、その利害が非常に大きくからんだ地域においてさえ、もはやアメリカの関与によらない排他的リーダーシップの発揮ができなかったという事実を示すことによって、その覇権国としての資格の喪失を明瞭にあらわしたものだからである。本研究が到達した結論は、英米両国の戦後ヨーロッパ秩序形成の在り方とその中で自らが果たすべき役割についての自己認識という点では、アメリカよりもまずイギリスに早期から明確な、自らをリーダーとした西欧諸国の組織化、そしてそれを基盤とした世界の中での第3勢力という対戦後西欧政策があったが、それが実際の国力の不足から挫折したのに対して、アメリカには当初は明確な対戦後西欧政策はなく、冷戦の進展の中で否応なく西欧を将来的には経済的にも軍事的にも自立可能な統合的枠組みの中にまとめあげるための各種援助政策、軍事的同盟の枠組みの提供を行わざるを得なくなっていき、それが、当初の独自のリーダーシップの下での西欧諸国の組織化という政策に挫折したイギリスにとっても、有用な政策とみなされ、両国の国際秩序の在り方およびその中での、自ら果たすべき役割については、こと西欧地域に関する限り、本研究が対象とした期間に全くことなるところから出発しながら、次第に一致したものとなっていったという事実である。
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