本年度も、初期日本近代哲学の資料収集をした。その上で、西周、井上円了らの初期日本近代哲学者たちが西洋哲学の形面上学的性格を、西洋哲学輸入の初期の段階からきちんと見極めていたことを確認した。周知の通り、それまでの日本思想史には、ギリシャ起源の哲学のような形面上学は存在しない。例えば、井上円了が「形質なきものの学」を哲学と呼んでいるが、どこまでそれの「正しい」理解ができていたかは推測困難である。ただ、西周が哲学という用語を西洋における東洋の儒学に相当するものとして使用したという事実、また、明治の哲学界、あるいは哲学的論壇において論理、道徳、宗教等が、伝統的思想、宗教界からの批判をも念頭に置きつつ中心的位置を占めていたことは、形質なき形面上的存在者が人の生き方との関連で理解される傾向があったことを意味することは疑えない。言いかえるとそれは人生を導く何らかの「超越」として実感されていたと言える。 それが無形の超越として、結局形面上学的究極実態である無として哲学的に純化される過程には、明治の西洋的教養を積み始めた知識人特有の自我、主体の自覚が重要な役割を果したと考えられる。幕末から明治初期にかけて洋行したエリート知識人が、どの様にしてどの様な自我主体意識を形成したか、その解明が「無」の哲学の形成過程の解明に不可欠だと考えている。それについて目下最終的にとりまとめており、近々研究報告書に書き上げられる予定である。 また、その過程が解釈学的地平融合としてどの様なプロセスだったと言えるかという観点から、日本近代哲学と西洋哲学の融合形態を論じた研究発表と論文を公表した。
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